銭湯ノスタルジー(2004.3月)

昭和40年代初頭、銭湯は全盛期を迎えていました。
ピークは昭和43年で、全国で銭湯の数は、18000店弱。
現在(6000店)の約3倍です。
(京都の場合はピーク時で600店→現在280店弱とほぼ半減。)
                                     

当時、大都市の内風呂普及率は40%そこそこでしたので、1店舗当たりの平均入浴数も400人は超えていたと思います。
これも現在のおよそ3倍の数字です。
(勿論、入浴料金も安く、当時は大人が28円でしたが..)

小学生の頃、夕方風呂に入ると洗い場はいつも満席、湯船のカマチに腰掛けながら順番待ちは普通でした。
待ち切れないせっかちで大雑把なおじさんは、湯船の真横に座りこんで、豪快に湯船のお湯を洗面器で頭からザブ〜んってやってました。

こういうおじさんは、大抵シャンプーなんてデリケートなものは使いません。
固形の石鹸を頭に直接擦りつけて、ゴシゴシと洗ってました。
髪の毛バシバシもまったくおかまいなし。

湯船のお湯も、とにかく熱かったです。
多分45℃以上は確実にあったと思います。
(今は冬場、熱くても43℃止まりです)

子供には耐え切れない熱さでしたので、よく水を交ぜてぬるめてると、決まってお熱いのがお好き」なオッちゃん「こら!ぬるめんな!」と一喝されたものです。

子供の嬌声に、我が子もよその子も、分け隔てなく叱り飛ばす大人の怒声。
熱い湯船に子供を無理やり浸からせて、両手で小さな肩を押さえ「いち、にー、さん、しー、…く〜、じゅう」抑揚のある関西弁風の節回しで数を数えるお父さん。(く〜↑のところが妙に高くあがる)
女湯に入っている奥さんに、大きな声で塀越しに、今日の晩ご飯の献立を訊ねる旦那さん。
何とも賑やかで、のどかな銭湯風景が思い出されます。

日常生活の延長に、しっかり銭湯が組みこまれていた昭和銭湯黄金時代。
今となっては、遠い昔の懐かしい思い出です。

まあ、あの時代には戻れないしょうけど、違った意味でもう一度「銭湯が身近にある」=「銭湯再生」を目指して鶴の湯はこれからもガンバリますよ!
皆様の応援よろしくお願いします。

 
銭湯と刺青 エピソード2(2003.7月)

これも昔々、私が小学生で銭湯が賑やかし頃のお話。
晩ご飯を食べて夜8時頃だったかお風呂に入ると、私と同じ小学校のひとつ年下の少年とお父さんが、洗い場(カラン)の鏡の前で隣同士に座っていた。

これだけならよくある親子の微笑ましい銭湯の風景だが、その時の状況は少し切迫していた。
お父さんが晩酌で飲みすぎたのかすっかり酩酊、酔っ払い特有のあのトロンとした目を据えて、斜め後ろの方をじっと見つめていた。
隣りで息子の少年が、何やらソワソワ心配そうにお父さんに話しかけている。

お父さんがじっと見つめている方向を見て、初めて私はこの時の事情が把握できた。

何とお父さんがじっと見惚れているのは、コワイ自由業のおじさんのアーテイスチックな背中だったのである。紅い牡丹の花が鮮やかに咲いていた。

息子   「お父ちゃん、そんなじっと見んとき〜な!」

お父さん 「・・・・・」じっとかぼっとかわからん目で黙って見つめたまま。

息子   「なんか言われたらどうすんのん。見んときて」

お父さん 「ヒック、」しゃっくり1回はさんで、ようやく息子の方を向いて答えた。「おとうちゃんは、綺麗な刺青やな思って見惚れとんねや!」

息子   「因縁でもつけられたらどないすんの!」

お父さん 「綺麗な刺青でんな!背中でも流しましょうか?言うたらええんじゃ。」とお父さんは息子の言うことを全く聴こうとしないで、またもや背中の牡丹鑑賞が始まった。

とうとう息子は、健気にもお父さんの顔の向きを小さな手で正面に懸命に向き直そうとした。
最後はこの少年、やっとこさうまく駄々をこねるお父さんを湯船に促した後、ようやく脱衣場へと連れ出した。
お父さんの濡れた体をバスタオルで丁寧に拭く少年の姿が、何ともいじらしかった。

銭湯で、子供が背中の絵に反応して親がアセルって話はよく聞くが、私が昔見たのは、全くその逆だったのである。

この頃、伏見では飲んだくれの父親に、しっかり息子のコンビがよく風呂屋に現われた。
反面教師というヤツで、大概頼りない父親をもった息子は利発に育つようだ。

因みにこの少年、私の幼馴染で、後、京都大学の医学を出て現在は立派な医者になっている。
過保護に育った子が問題児となる昨今を鑑みると、子供に気を使わせる位の親の方が結果的にはうまく育つのかも知れない。

            銭湯と子供(2002.10月)

町の銭湯にめっきり子供が少なくなった。(ここで言う子供とは小学生以下の世代をさす)                                         

私が小学生の頃、いつ風呂に入っても近所の顔見知りの子供がいて、学校の話から、今日1日の遊びの総括、明日の遊びの約束と色んな話をしたものだ。

同級生だけではなく、上下2〜3年の年の離れた年代との交流もあったので、そこでは教えられたり教えたり学校のクラスコミュニテイ―だけでは得られない新鮮でホットな情報交換があった。                        

また、子供だけではなく、大人からも怒られたり、色んな話が聞けたりして、大人社会を少し垣間見ることも出来た。
いわば銭湯は子供にとって社交場であり、情報源であり、また社会の窓口でもあったである。                   
      
子供が入っていない銭湯はなぜか活気がないし淋しい。
銭湯には、子供の嬌声がよく似合う。
子供が、お風呂で無邪気に楽しそうに遊んでいるのをみると、何だか微笑ましくこちらまでホンワカいい気分になるのは、私だけだろうか?

よく、子供がうるさいのでゆっくりできないと、フロントにクレームをつけるお客さんもいるが、もし子供が度が過ぎた時は、その場で大人が一喝、叱ってやっていただきたい。
只、その時、「うるさい」 「こら!」だけでは、子供にはなぜ怒れているのか理解できないので、簡単でいいからなぜ怒っているか、ちょっと説明してやって欲しい。

私が水風呂に入っている時、よくドカドカト3〜4人小学生が遠慮なく入ってきて平気で水掛合戦を始めることがある。こんな時、私は遠慮なく叱り飛ばす。
「こら!大人がゆっくり風呂入っとるのに、ちょっとは遠慮せんかい!ゆっくり入れへんやろ、回りよう見て誰もおらん時、思いっきり遊べ!」
この時優しく諭すような温厚さは必要ない、このおっさん怖わ〜と思わす勢いで怒った方が効果がある。
ここまでしたら大人が怒るんやなという境界線、また、人に迷惑かけたらしっぺ返しがあるんやなという事を子供にわからせることが肝心。

子供は意外と素直なのでなぜ怒られたか理解できれば、同じことは繰り返さなくなるものである。

銭湯が、教育の場なんて大げさな言い方はしたくないが、大人と子供の本気でまじめな交流の舞台として復活させたいなと思っている。

             銭湯とIT(2002.10月)

<銭湯>と<IT>この二つの言葉、並列するとどうも相性が悪そうに見える。確かに<銭湯>は、人間臭いアナログのイメージ、<IT>は、1か0の機械゙的でデジタルなイメージを言葉から連想させる。                                                                                                                  
ホームぺ−ジやメルマガなんかを発行していると、よく中年以上のお客さんに
「やっぱり、風呂屋は人と人との直接のふれあいの場所や、インターネットやパソコンなんかに頼ってても、ほんまの商売できひんで!」と叱られることがある。
ある意味では、その通りだと私も思う。

しかし、1日に当湯には、老若男女、数百人のお客さんが来店される。話好きの人もいれば、話下手な人も、また他人と話なんぞ煩わしい、風呂だけ入りにきているという人もいる。

全ての人に、face to faceの直接のコミニ手段だけで、店側の思いや情報を、お客さんに伝えるのは、チョット無理がある。
「いらっしゃいませ」 「ありがとうございました」とニコニコ愛想だけの挨拶も、それだけでは何か物足りない。

よって、そこでホームページやメルマガを発信してなるべく多くの人に、早く且つ簡単、気軽に、こちらの思いや変化を伝える事で、より鶴の湯を身近に感じていただき、そこから会話のきっかけが生まれ、いい意味でのお客さんとのふれあいが出来ればいいなと思っている。

私は、パソコン通でもないし、またパソコン操作そのものにも、ほとんど興味はない。
しかし、<IT>は、お客さんとのふれあいを呼び込む手段として利用するには、非常に価値が高く、便利なものであると認識している。

銭湯から、人情や風情、人の温もりがなくなっては、それは単なるレジャーランドである。気軽にぶらりと出かければ、何となくほっとするようなお風呂空間。そういうものを大事にして残してゆきたいと思っている。

そういう銭湯文化を守っていくためにも、<IT>はこれから益々必要不可欠の道具だと思うのである。

私は、銭湯にとってITは、これからの重要なキ−ワードであり、町の銭湯こそIT化して、地域社会の情報受発信基地になればいいと思っている。
        
         銭湯と刺青 エピソード1(2002.9月)

これも、私が小学生の頃の話。
いつものように、夕方風呂からあがり、脱衣場で涼んでいると、見たこともない中年のおっちゃんがニコニコ気安げに近づいて来た。
おっちゃんは、背中に墨を入れ、頭にはタオル鉢巻、ステテコ1枚の姿だった。

背中のおっちゃん 「ぼん、相撲教えたろか?」

この頃、伏見界隈のおっちゃんは、ぼんでもないのに子供のことをよくぼんと呼んでいた。

ぼんの私 「暑いから、ええわ」
「ええから、来いや!」
そういいながらおっちゃん、椅子に腰掛けていた私の手をひっぱり、脱衣場の真中に無理やり引き出した。
脱衣場の籐ゴザの敷いてある四角い部分が土俵となった。

背中のおっちゃん 「頭つけて、前褌取ってみ!」
仕方なく私は、おっちゃんの言うとおり頭をつけて、四つ身に組んだ。
背中のおっちゃん 「そうや!遠慮せんと思いきって来んかい!」

おっちゃんとのガチンコ相撲が始まった。

でも、おっちゃんは軽かった。右上手をグイっと引きつけると、おっちゃんの腰がふわりと浮いた。
次の瞬間、おっちゃんは飛んでいってしまった。
決まり手は上手投げ。

実は、当時私は、少年相撲のチャンピオン(横綱)だったので、小さな大人相手の相撲なら、負ける気がしなかったのである。

背中のおっちゃん 「このガキ、何さらすんじゃ!」
物凄い形相でおっちゃんは、こちらに向かってきた。
額からは、血が吹き出して
いる。
どうやら、転倒の際、脱衣箱の角に頭をぶつけたみたいだった。

「相撲に負けて逆恨みとは、男らしくないなア」そう思って、私も後へは引かなかった。
番台にいた母がさすがに慌てて飛んで来た。
丁重におっちゃんにあやまって、その場をうまく取り繕った。

額にバンソウコウ貼ったおっちゃん、最後は少し照れ笑いして、後ろ向きに右手を上げバイバイのポーズ。
何となくその背中が小さく丸まって見えた。

あの後、家に帰っておっちゃん額のバンソウコウのこと、何て説明したのかな?

昔昔、大人と子供のまじめな交流の舞台だった「銭湯劇場」での本当のお話。
あの時のぼんも、今はええおっちゃん。                                                                                                                                                                                                        
銭湯と未来(2002年6月)

銭湯が斜陽産業といわれて久しい。

確かに現在、京都府下に大小合わせて約290店舗の銭湯があり、1日1店舗当たりの平均来客数は120人程度と聞く。
すると京都の1日当たりの銭湯利用者は120人×290店舗でおよそ35,000人。
さらにこの数字を京都府の人口260万人から割り出すと京都人の1日当たりの銭湯利用者率は3.5万人÷260万人で約1.3%ということになる。

少ないといえば少ない数字である。
しかも毎年この店舗数も利用者も減り続けているので益々利用率も減少の一途を辿っている。
全国的にみても大なり小なりこの傾向には変わりないだろう。

でも本当に銭湯に未来はないのだろうか?
実はこの数字には最近流行のスーパー銭湯の利用客も健康ランドや温泉旅行に出かける人の数も入っていないのである。
所謂、浴場組合に加盟している街の銭湯の利用者率に過ぎない。

元来日本人は風呂好きの民族で家庭の小さな風呂では味わえないゆったりとしたお風呂やリラックス空間に対するニーズは結構あるのではないか?
現に、スーパー銭湯も盛況の様だし、国内の温泉旅行の人気も高い。
銭湯を温浴レジャー産業としてもう少し大きく捉えれば潜在需要は十分にあると思える。

今までの銭湯産業は少し行政や設備業者に頼り過ぎて受身であったように思う。
私は、ちょっとしたアイデア次第で銭湯リバイバルは可能だと思っている。
リバイバルの鍵は、大きな言葉で表現すれば「地域密着」と「個性化(アイデア)」だと私は思う。

やっぱりスーパー銭湯の真似は出来ないしまたしてはいけないと思うのである。
人の温もりのある、そこへ行けば何となくほっとするようなお風呂屋さん。
でも新しいものもどんどん取り入れて日々進化している未来の銭湯。
そんな銭湯つくりにこれからもチャレンジしてゆきたい
 
銭湯と刺青(2002年6月)

一般的に銭湯は刺青のある方の入浴を断らない。
これは銭湯が果たしてきた歴史に由来している。
風呂屋に通うのが日常的であった時代、風呂屋に行ったらダメな人などひとりもいなかった。
いわば銭湯は客を選ばない商売であった。
(勿論、他人に明らかに迷惑なるような方の入浴を断ることは昔も今も同じである。)

スーパー銭湯や健康ランドは、体のどこかにが描いてあると全て入場お断りとなる。
理由は大多数の絵のない体の人達がリラックス出来ないから。
またたくさんのお客さんを安心させ、集客したいからといったところではなかろうか。

確かに銭湯も単に体を洗う場からリラックスの場へその役割は変わってきた。
でもだからといって絵が描いてあるという理由だけで入浴を断るというのは少し理不尽な気がする。

そもそも刺青=暴力団=悪というイメージは短絡かつ直線的である。
土建業や鳶職の方にも刺青のある方はいらしゃるし、その筋を既に引退し今はまじめに働いている方もいる。

いろんな人がいてこの世の中が構成されている。
銭湯は裸になるが故にまさにそれが赤裸々なるだけの話である。
現実の世界にフタをして嘘の世の中だけみて誤魔化してもおもしろくない。
もはや銭湯でしか刺青は見ることは出来ない。

刺青を日本の風俗として銭湯で鑑賞する位の余裕でお風呂に入って欲しい。それが大人の包容力だと思うのである。

当湯では、絵のあるないにかかわらずマナーと常識ない人に、入浴をお断りしています。

 

銭湯と喧嘩(2002年6月)

銭湯は老若男女いろんな人が集まる。
家業が銭湯だったので子供の頃から親以外の大人の観察の場が風呂場であった。

私が小学5年か6年生頃だったか、いつものように夕方遊びから帰って風呂場に入ったら大きな声で60前位の中年のおっちゃん同士が口論していた。
何の話かなと思って聞き耳たてれば、どうやらプロレスの話らしい。
口論の議題は「馬場と猪木どちらが強いか?」

馬場派「馬場はのろいけどあの身体や、チョップもキックも重うてよう効くんじゃ!猪木なんかカッコつけとうるだけで馬場にかかったらイチコロじゃ」
猪木派「あほか!馬場の16文キック見てみ!相手の方からわざと当たりにいっとるやんけ。八百長やんけあんなもん」
こんな感じの会話だったか。

片方のおっちゃんは禿げた頭まで真っ赤にして興奮していた。
二人とも少し酒が入っていたのだろう。

今にして思えばどっちでもいい話だが小学生の私にとっては結構興味津々の話題だったので一生懸命横で聞いていた。
するとそのうちふたりとものぼせたのか脱衣場へとあがっていった。
しばらく風呂場からガラス戸越しに脱衣場のふたりを見ていると、声は聞こえないが更にヒートアップしている様子。
私も続きがどうなったのか気になって脱衣場へ行ってみると、なんと話の議題がころりと変わっていた。

今度は「北の富士と玉の海どちらが強いか?」という話題で激昂していたのである。
さすがにこれには小学生の私も吹き出してしまった。「ええおっちゃんがどっちゃでもええやん」そう思った。

でもこのふたり最後は大笑いしながら肩を組んで帰っていった。
どっかで飲み直しといくらしい。

昭和元禄浪花節の時代
、日本も平和やったんやなぁ。
風呂屋の喧嘩は他愛無い。
大喧嘩は一度も見たことはない。
いつも笑って終わってしまう。

これもマイナスイオンによるアルファー波とやらの効能なのかも知れない。